選択と決定
その一報を受けたのは、日曜の昼下がり。
原宿でジャニショに行ってお気に入りの自担の写真を買い、お昼を食べたところだった。
あの時から今まで正直、頭の中がずっとモヤモヤしていて体調が優れない。
すばるのことを考えない時間はあるけれども、ふとした時にすばるが出てくる。
私は関ジャニを積極的に推していた訳でもなく、ライブブルレイを一枚買ったことがある程度だが、彼らの番組は結構見ていた。
特にクロニクルと関ジャムはお気に入りで毎週しっかり見ていたし、これからも見る。
バラエティの彼らは面白くてね、なんていうか頭空っぽで楽しめるいい番組だった。
それぞれが自分のキャラを普通に出してて、ドッジの自由さは見てる私も同じリビングにいるようだった。
だからか、金曜にあの速報が走った時に鼻で笑ったものだった。
すばるが、バラエティの収録が嫌で脱退するなんて有り得ない。なにいってんだ。
そう思った。誤報乙。
翌日に投げられた本人の口から溢れた言葉はもっと真摯なものだった。
私みたいなちょっとした人間が何も言えないくらい真っ直ぐな純粋な音楽への思いが綴られた。
それまでの活動を見てても音楽が好きで音楽と共に生きるような姿は知っていたので、なんとも言えなかった。
渋谷すばるの会見は昨日のPONまで、直視できず、やっとの思いで見たけどやっぱり泣いた。
見ればいろんな思いが私の中で交差していく。
渋谷すばるが音楽を愛し愛されていることは、そこまでファンじゃなくても知っていることだと思う。
そんな彼が音楽を極めるべく、歩む道を変えることに誰が何を言えるんだろう。
関ジャニはじゃあどうなるの?すばるが抜けて誰がそのセンターに立つの?
でも残された6人が前を向いていくなら何も言えないだろ、周りは。
すばるがいる関ジャニをもっと見ていたかった。
でも決断したすばるは誰も止められないよね。曲げないよ、すばるは。
頭の中に終わりのない問答が繰り返し繰り返しされていて、頭が重い。
すばるだけではないが、誰かの今後の活動を他人が強いるのはエゴだ。
人には選択と決定の自由がある。36歳の自分を振り返り、自分の行きたい方向、やりたいことが分かった時にそれは他人が止めていいものじゃない。
6人の言葉がその通りだな、と思えてくる。思えてくるからこそ、7人の関ジャニを見ていたかった。
なんでこんなにすばるのことを考えてしまうのだろう、と思った時に思い出すのはピカイチだった。
渋谷すばるは自分が青春時代と呼ばれる時代を共に生きたアイドルだったな、と思い出した。
関西弁を喋りながら、バラエティに出て笑いを取りに行き、歌では人を魅了し、きっとクセが強いだろう部分もあり、なんというか私の憧れだったのだろう。
同級生…というか先輩だった。憧れの。
そんな彼の今後は幸せで輝かしいものだろう。
彼自身が自分で自分の道を決め、進める人なのだから。
がんばってね。応援してるよ。